『小林多喜二日記』1928年1月1日夜(最終回 / 第70回) 

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https://youtu.be/7B_WwrWXqmY


多喜二は毎年お正月には「書き初め」の作品を書いていたようです。今日の日記は新年を迎え昨年の自分を総括し新しい年に想うことを書き、頁はまだまだ続くのかなと思わせる、いつも通りの雰囲気なのですが、多喜二はこの日を最後に日記を閉じます
「書き初め」は、元日から三日までの間で書いた「誰かに宛てた記録」のようです。*1  


★ 今回出てくる人の人名、作品名  [ ] 内は日記中の表記


[ T ] / 田口瀧子、田口タキさんのこと


復活   映画 / 1927年 アメリカ   監督:エドウィン・カリュー 出演:ロッド・ラロック、ドロレス・デル・リオ他
前回の第69回(1928年11月23日)で多喜二が観劇した映画。トルストイの有名な小説『復活』を映画化した作品です


[カチウシヤ]  /  上記の映画「復活」の登場人物 


マルキシズム   / Marxism  マルクス主義のこと


[古川]  / 古川友一   「労働農民党員で、小樽では理論家として知られていた」そうです *1 
しんぶん赤旗に詳細があります。あいにく、記事へ直接のリンクは貼れないので
http://www.jcp.or.jp/akahata/
「敗戦直前、拷問でたおれた古川友一とは?」で検索すると古川氏のことが書かれた記事が読めます
第69回(1927年11月23日)、第68回(1927年10月10日)にも出てくる人です


[寺田] / 寺田行雄  多喜二の友人 小樽商高で1年下(2年下という説もあり)、彼の勧めで多喜二は本格的に社会科学の勉強を始めることになったようです。
上記の古川氏と同じく、しんぶん赤旗に詳細があります。ちょうどこの日の日記に関することが書かれたものがあり、
http://www.jcp.or.jp/akahata/
「小林多喜二の盟友、寺田とは?」
で検索すると、読めます
この日記では、多喜二が自分の生活に対して「イーヂイ」だと書いた第2回(1926年5月28日)に、続けて「寺田達のことが考へられた」とも記しています


[勞農黨] / 労働農民党 1926年発足 


文藝戦線  / 1920年頃に発刊されていたプロレタリア文学誌 
日記に度々登場する雑誌。労農芸術家連盟(労芸)の機関紙だったたようです


女囚徒  戯曲 / 小林多喜二 作 「人間様!」を改題したもの。
第68回(1927年10月10日)にもでてきます。改題や登場人物については第31回(1926年10月18日)で触れています 


防雪林 / 小林多喜二作  未発表作品  改題後『不在地主』となった作品
1927年の11月上旬、「石狩川のほとり」という仮題で北海道の開拓農民を主題にした小説を書いていたそうです *1  このふたつの作品について触れた本は多く1948年頃から現在までいくつも出版されています。前回の第69回(1927年11月23日)では「チェルカッシュ、カインの末裔如き」作品をイメージしていたような言葉が書かれています


北方文藝 / 小樽高商文藝會 小樽高商の大学新聞「緑丘」にあったもののようです。 1927年6月に、多喜二はここへ「田口の姉と記憶」(姉との記憶) を発表しています。前回の第69回(1927年11月23日)にも少し出てきます


シネマ  雑誌 / 勝見茂(藤橋茂)氏と和田寿夫氏が編集に携わった小型の雑誌で、頁を綴じないスタイルで発行していたようです。この雑誌に関しては「あの当時、パラマウントの方から金が出た」とも藤橋氏が座談会で語っています *2  
前回の第69回(1927年11月23日)で、多喜二はこの雑誌へ「チャップリンと其他(チャップリンのこと其他)」を書いたとあります



海戦を中心の雑談 /  前回(第69回)の「チャップリンのこと其他」 と同じく「シネマ」に掲載されたようです
定本小林多喜二全集. 第9巻 新日本出版社 1968年 にも入っています


小樽新聞 /  当時「小樽新聞」は北海道内の主力な新聞で、並んで「北海タイムス」もあったようです。 ネットで調べると明治時代は「北海タイムス」「小樽新聞」「函館毎日新聞」 が北海道の三大紙と言われていたらしいです


*1 『小林多喜二』 手塚英孝著 2008年 新日本出版社 
*2 『小林多喜二のその周圏』 小笠原克著 1998年  翰林書房

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