『小林多喜二日記』1927年10月10日(第68回) 

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_(・・)/◇ YouTubeはこちらから 
https://youtu.be/Rj_KgCyQ_6I


1926年初夏から始まる多喜二の日記も、残りわずかになりました (ノ゚ο゚)ノ


★ 今回出てくる人の人名、作品名 [ ] 内は日記中の表記
 

『文藝戦線』 / 1920年頃に発刊されていたプロレタリア文学誌 
日記に度々登場する雑誌。当時は労農芸術家連盟(労芸)の機関紙となっていたようです 


女囚徒『女囚徒』 戯曲 / 小林多喜二 作 「人間様!」を改題したもの。
前回の第66回(1927年8月25日夜)で「文藝戦線十月號に出ることになったのだ」と書いています。改題や登場人物については第31回(1926年10月18日)で触れています 


[プロ藝] /日本プロレタリア芸術連盟  1926年
1925年に結成されたプロレタリア文学の集団「日本プロレタリア文芸連盟」を再編成して発足。1927年に除名されたメンバーで「労農芸術家連盟(労芸)」が作られ、多喜二はこの「労芸」へ1927年8月に加盟しています。 *1



[読書會] /  たぶん「文藝読書会”第二回集会」のことだと思われます。*1 
9月9日に“文藝読書会”を労芸・プロ芸合同で開催したのが第一回のようで、多喜二はこの翌日に山田清三郎氏宛にこの會(9月9日)の要約を手紙へ書き、いくつもの至急の要望も書いています *2


[古川氏] / 古川友一  “ふるかわ”氏ではなく“こがわ”氏と読むようです。
しんぶん赤旗に情報があります
http://www.jcp.or.jp/akahata/
「敗戦直前、拷問でたおれた古川友一とは?」で検索すると記事が読めます



[研究會(火曜會)] / 古川氏が講師となって開かれていた学習会。高畠素之訳のカウツキーの資本論解説、他デポーリン、猪俣津南雄の金融資本論や共産党宣言などもテキストに選ばれていたようです *1


[資本論略解] / マルクス資本論略解 河上肇 著  弘文堂書房 1925  
第1巻 第3分冊は、国会図書館デジタルコレクションで公開されています
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971546


[砂濱村]  / 詳細不明 分からないながらも調べたら北海道岩見沢市に「北村砂浜」という地名がありました。北村砂浜は小樽市からすこし距離があるのですが、そのちょうど中間地点に札幌市があります



江口渙 / 小説家、評論家、社会運動家 1887年〜1975年  
当時のプロレタリア文学の指導的立場にあったようです。芥川龍之介が同氏について文章を書いていました。 
_(・・)/◇ 青空文庫で読めます
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43364_26113.html




北方文藝 /  小樽高商の大学新聞「緑丘」の一部にあったもののようです。 
ここへ多喜二は『田口の姉との記憶』『残されるもの』を発表。
当時は北方文芸の合評会が毎月公園通り( *3 ) にある「矢野クラブ」で開かれていたそうで、また同所で文芸戦線の読書会も開かれていたそうです *1 第58回(1927年5月8日)にも出てきます。



残されるもの 小説/  小林多喜二作  1927年 北方文芸十月発行第五号 に掲載 *1 


[モウパッサン] / ギ・ド・モーパッサン 1850年〜1893年 フランスの作家、劇作家、詩人 自然主義の作家 
この日記に数回出てくる作家のひとり。第66回(1927年8月25日夜)ではこの作品を賞賛しています。多喜二は日記の第53回(1927年3月20日)でチェーホフとの違いなどを短く書いています。 


脂肪のかたまり 短編小説/  ギ・ド・モーパッサン作  1880年  
 

葉山嘉樹 / 1984年〜1945年 日本の小説家 プロレタリア文学の作家 
この日記にたびたび登場している作家。
多喜二の言う「素地」とは、ここに具体的には書かれてはいませんが、 第19回(1926年9月14日)で『淫売婦』をよんで「グアン!と来た」と書いています
 

メイエルホリド / フセヴォロド・メイエルホリド 1874年〜1940年  ロシアの演出家、俳優 
それまでの演劇とは異なる革新的な表現を試み、いまも欧米や日本など幅広く演劇界に影響を残しているようです。 
メイエルホリドの提唱する俳優の身体表現を重視した「ビオハメニカ」は、度々演劇研究の対象として扱われているようで、わたしも早稲田大学など複数の大学が集まった演劇の研究会でメイエルホリドの映画を見たことがあります

  

*1  『小林多喜二』 手塚英孝著 2008年 新日本出版
*2  『小林多喜二の手紙』  荻野富士夫編 2009年 岩波書店
*3 小樽公園から水天宮下までまっすぐ繋がる道のことを「公園通り」と呼ぶようです。第59回(1927年6月2日)の日記で、家出をする直前のタキさんと語りながら歩いたのがこのあたりのようです

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