『小林多喜二日記』1927年6月15日 (第61回)
不在地主 磯野小作争議 武田暹 田口の姉との記憶 北方文藝 駄菓子屋 斉藤次郎 宮森麻太郎 ユージン・オニール ダンセイニ アーサージヨーンズ 父をたずねる チャピン 小山内薫 ミシェル・オークレール シャルル・ウィルドラック その出發を出發した女 島田正策 英米近代劇一幕物十種 カルデロン モンクハウス アルフレッド・スウトロ

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https://youtu.be/sAeEJiZ2AN8
多喜二の小説『不在地主』のモデルとなった磯野 進の下富良野農場で起きた小作争議が、この日記の書かれた6月にもあったようです
多喜二、多忙です

★ 今回出てくる人の人名、名称、作品名 [ ] 内は日記中の表記
[図書館] /小樽図書館のことかもしれません インターネットで調べると、武田暹さんはこの頃この図書館に勤務されていたようです
[ 武田の「尼」] /武田暹作 のようです 前回第60回(1927年6月8日) の日記の最後にもでてきます
[ 田口の姉との記憶 ] / 北方文藝 小樽高商文藝會発行 1927年6月に掲載 この日記の第58回(1927年5月8日)、第60回(同年6月8日)にも出てきます 1930年作『同志田口の感傷』はこの改作だそうです
武田 / 多喜二の友人 この日記にたびたび登場する “武田暹”(たけだ すすむ)さん のことだと思われます 1926年8月15日(第14回) 「駄菓子屋」の項を参照のこと
斎藤 / 多喜二の友人 この日記に何度も登場する多喜二の親友、斉藤次郎のこと 庁立小樽商業学校から生涯を通じての友人 画家を志しており、多喜二との書簡はこの日記「小林多喜二書翰集/斉藤次郎への手紙」に収められています 「味知二」「末知二」は筆名のようです
島田 /嶋田正策(しまだしょうさく)のこと。多喜二(12才)が入学した庁立小樽商業学校では2学年上 多喜二の生涯を通じての友人 田口たきを身請けする際は金銭の協力もしている のちに共産党へ入党
河口秘書役/ 北海道拓殖銀行の重役のようです 詳細不明です
宮森麻太郎 / 英文学者 1869年〜1952年
[英米近代劇、一幕十篇] / 英米近代劇一幕物十種 1926年 宮森麻太郎訳 春秋社
このなかに今回出てくる作品が入っているようです
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978140
国会図書館
[ジョウジ・カルデロン] / 調べてみたのですが詳細不明です
[ユウジン・オニイル] / ユージン・オニール 1888〜1953年 アメリカの劇作家 1936年ノーベル文学賞受賞 日本でも戯曲の上演の数多い作家です
[ゴルスワァジイ] / ジョウジ・カルデロン この方も詳細不明です
[ダンセニイ卿]/ ロード・ダンセイニ(ダンセイニ卿)のことかもしれません 1878年〜1957年 アイルランドの作家
[モンクハウス] / アラン・モンクハウス この方も詳細不明です
[ジヨウンズ] / ヘンリー・アーサージヨーンズ のことかもしれません 1851年〜1929年 イギリスの劇作家
[ハロルド・チヤピン] / 詳細不明ですが チャピン作の戯曲「父をたずねる オーガスタス」は小山内薫上演の『息子』の原作のようです この作品は2017年も上演されているようです

[アルフレッド・スウトロ] / 調べてみたのですが この方も詳細不明です
シャルル・ウィルドラック / フランスの作家、詩人、戯曲家、童話作家 1882年〜1971年 前回第60回(1927年6月8日) の日記にもでてきます 1926年に来日 その同年築地小劇場で『ミシエル・オオクレエル』が上演されたようです *1
その出發を出發した女 小説/ 小林多喜二作 多喜二が初めて書いた長編小説 これは完成できず中断したようです この日記の 第58回(1927年5月8日)では「ちっとも進まない」と書いています。 富士出版の小林多喜二全集(1952年)の巻末の解題に友人の島田正策氏の談話があり、それによると執筆の動機の一つに田口タキさんの生活援助が含まれていたそうです
*1 早稲田大学文化資源データベース doune
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