小林多喜二日記』1927年4月15日 (第56回) 

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https://youtu.be/LC4O8tJFkjE



前回の日記で「又最近田中五呂八、高崎徹などと一緒になって話す筈」
と書いていましたが どんな様子だったのか今日の日記に出てきます 
 



   ★  今回出てくる人の名前、名称、作品名 [ ] 内は日記中の表記


米山可津味 /  小樽新聞の記者 多喜二たちが出版した同人誌「クラルテ」の第3号に作品を掲載しており、日記でも何度か出てくる人物  この日記の第20回(1926年9月15日)、前回の第55回にも少し登場します



田中五呂八 / 1895年〜1937年 川柳作家 北海道釧路市出身 小樽新聞社に勤務 伝統的な川柳を否定した新しい川柳「新興川柳」を掲げて活躍した 小樽で雑誌『氷原』を創刊 昭和初期まで刊行している 多喜二と同様に、市立小樽文学館に資料が収蔵されています



高崎徹 /  小樽高商でロシア語教師をしていたという記録がネットにあります 小樽新聞の主筆も務めていたようで、多喜二がクラルテへの参加を求めて面会して以来交際があったようです 



[新宮]  / おそらく新宮正辰のこと  多喜二が中心となって作っていた雑誌『クラルテ』の同人 



[武田] / おそらく武田暹 (たけだ すすむ) のこと   多喜二の友人 1926年8月15日(第14回) 「駄菓子屋」の項を参照のこと  この日記には度々登場しています


[中司鐡也] /  ネットで調べると 当時金沢の『原生林』という同人誌があり、その同人に「中司鉄也」の名前があります たぶんこの方のことかもしれません 

 前回の第55回、また第12回(1926年8月8日)にも金沢の同人誌名が出てきますが、そちらは名称がちょっと異なりで『原始林』です 
  どちらが本当なのか わかりません



[山脈の連中]  / 『山脈』は第53回(1927年3月20日)にも出てきた同人誌 
         多喜二の友人 勝見茂が同人だった雑誌のようです  詳細不明



[松竹座]  / 当時小樽にあったようです 詳細はわかりません もともと芝居小屋だったという情報もあり、松竹座と名乗っていても、映画を配給する「松竹座」系列では当時はなかったようです 多喜二が招待されたのは 舞台だったのかもしれないのですが よくわかりませんでした



[ T ] / 田口瀧子、田口タキさんのこと  「T」 という表記はこの日記のなかでは度々登場しています




[父の危篤] [Eternal problem] / (第19回) (1926年9月14日)にも出てくる作品です 最初は『分らない』というタイトル、さらに改作を重ねて今回も新しい作品としたようです 
いまは「父の危篤」というタイトルで多喜二全集などに収録されている作品が近いと思われます

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