小林多喜二日記って

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小林多喜二日記』(出版社名)が出版されたのは1936年(昭和11年)のこと。その元となった一冊のノートを多喜二本人は「析々帳」と名付けていた。通読すると、日々の読書の膨大な覚書が目を引きます。読んだ戯曲の小説の寸評、抜き書きが頻繁に登場し、長いときには2度にわけて書き込むので同じ日付が2つあったり。海外の長編小説を要約し、文中の会話文も労を厭わず書き抜いて該当ページも記録する…このノートに割いた時間と熱情はどれほどだったか。

のちにプロレタリア文学の書き手として、あるいは、特高に虐殺されたことで、今に名を残す小林多喜二


しかし、そのような存在になる前の野心ある青年、または、何者かになるために邁進していた青年”小林多喜二”の飾らない日記、といってしまうには「折々帳」は、起伏に富み過ぎている気がします。

というのも、いつか公表される日が来ることも頭によぎらせながら書いていた節があり、小説を書くための備忘録としても、あるいはときには、だれかに言うことのできない今日の自分と向き合うために書いたノートだったのではないかと。

日記のなかに登場する芸術作品の数々はある時期の日本の文芸史の授業のようで、当時のひとたちを惹きつけた映画や演劇、小説が具体的に生き生きと書かれています。

前置きが長くなりました… いえ、前置きのつもりでした(謝)

この日記は、多喜二が小樽高等商業学校を卒業してから2年後、田口タキさんを身請けした翌年から書かれたものです。

では、これからこの「折々帳」の日々を辿っていきます

                                  藤代 三千代

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